駅のホームから人が落ちました。あなたならどうする?
■慢性痛を克服するために必要な考え方とは?【愛知県江南市の慢性痛専門整体院-爽快館】
私がまだ整形外科に勤務していた時の話です。
ある朝、通勤途中にホームで電車を待っていると私が待つ反対側の方へふらふらと歩く男性がいました。
傍から見るとかなり体調が悪そうな様子。
ホームギリギリの所を歩いているので危ないなぁ~と、思った瞬間。
その男性はホームから線路へ落ちてしまいました。
落ちた側の線路は電車があまり来ないエリアなのでよかったのですが、一向に起きあがってくる様子はありません。
すると、私が待っていた電車がホームへ到着しました。
朝の通勤時間帯ですので電車を待っていた全ての人が電車へ乗り込みます。
私も一緒に乗り込みます。
その間にも男性の様子を伺いますが姿は一向に見えません。
私は見かねて電車を降り、男性が落ちた線路へ向かいました。
視線を男性に向けると、男性は崩れ落ちた姿勢から立ち上がろうとしていました。
私は線路に降りて肩を支え、ホームの上へ男性を持ち上げました。
その男性の意識はしっかりしていましたが、かなり憔悴した様子でした。
ひとまず、線路から上がったので安心ですが驚いたことに電車やホームにはあれだけたくさんの人がいたにもかかわらず、男性の介助をしたのは私だけでした。
他の方はそのまま電車に乗ったままでした。
私はこのこと(多くの人が傍観者でいたこと)に違和感を感じていましたが、最近ある本を読んでその理由が分かりました。
人というのは、その場にいる人たちが大勢であればあるほど当事者意識が薄くなるそうです。
「誰かがやるだろう」「誰かがするだろう」
こんな意識が働くそうです。
ですから、決してこの人たちの心が冷たいというわけではなく、人間心理の仕組みがそのようにさせてしまうようです。
そして、人は「他人の行動」に非常に影響を受けやすいので、周りの人たちと同じ行動をしがちです。
自分で判断するのではなく、周りの行動を見てから自分の行動を決めるというわけです。
今回の場合は、皆さんは傍観者という立場を取りました。
朝の忙しい時間帯ですし余計そうなったのでしょう。
こうした判断の方法は日常生活の中で何気なく行われています。
他人と同じことをすることに(無意識に)安心感を覚えるので、自分の意志で行動しているようで違うところがあるのです。
そして、これはそのことが正しい正しくないはあまり関係ありません。
「人が何を選択しているか」の方が重要な決定事項です。
ただ、自分以外の人が正しい選択をしているのでしたら何も問題ありませんが間違っていたらどうでしょう。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」かもしれませんが、そのまま進んで車に轢かれない保証はどこにもありません。
これは慢性痛の治療でも同じです。
病院へ通っても治らないけど皆が行っているから通い続ける。
出された薬を飲んでも治らないけど皆が飲んでいるから飲み続ける。
健康食品を飲んでも変わらないけど周りの人もたくさん飲んでいるから継続購入。
何となくおかしいなと気づいても周りの人と同じ行動をした方が安心なので同じ行動を続けてしまう。
こんな人は大勢いらっしゃいます。
自分の体のことなのに意識が自分の方に向いていません。
周りの人が何をしているかに気を取られているのです。
慢性痛の治療に限って言えば、こうした人間特有の行動はかえって改善を遠ざけます。
慢性痛は「治療法」も大切ですが、どこに意識が向いているかで結果は大きく違ってきます。
その意識が向かう先は他人の行動なのか、自分の行動に向いているのか?
もちろん、慢性痛を治すためには自分自身の行動に意識を向けることが非常に大切です。
私が、慢性痛は治療を受ける「だけ」では治らないと常日頃から伝えているのはこうした要素があるからです。
ですから、自分の体の使い方に意識を向けることができる人は治すことが出来るのです。
あなたがしている選択は「何が基準」になっていますか?
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