思い込みは冷静な判断を失わせる
あなたが患者の立場になった場合、医師が自分でも受けないと言っている手術を受けたいと思いますか?
普通は、受けたくないと思うはず。
しかし、これは自分が冷静な立場でいるからそのように判断できるのであって、当事者になればそうでもなさそうです。
これは、実際に聞いた話で、ある方が医師から「脊柱管狭窄症」と診断を受けました。
話によると、足のストレッチをすると症状が軽くなることから、私は筋痛症だろうと推測したのですが、当の本人はそうではありません。
脊柱管狭窄症なんだから、骨が変形したものが脊髄神経を刺激して痛みが出ていると信じているわけです。
病院からも、そのように説明を受けていますし。
そして、脊柱管狭窄症の治療には「手術」という選択肢があります。
しかし、手術を受けても治る保証はありません。
これは、オペを手掛けてきた医師であれば誰でも知っている事実。
実は、その患者さんを診察した医師自身が脊柱管狭窄症を抱えているとのこと。
そして、その医師は正直に「自分なら手術は受けない」と患者さんに話しているのですが、医師自身が受けないと言っている手術を、患者さんは受けようとしているのです。
これはもう、ある意味パニック的状況と同じと言ってもいいでしょう。
「早く痛みから解放されたい。その手段として手術がある。それなら、早く手術を受けたい。治してくれ。」
その気持ちは分からなくもないですが、冷静に判断できなくなっているんですね。
当の医師が、自分なら受けないと言っているのだから治らない可能性の方が高いのですが、そのことは恐らく頭にないと思われます。
手術を受ければ「治るはずだ」と信じているんですね。
これは、高齢の患者さんほど、その傾向が強いように思います。
「病院が出すお薬なら心配ない。お医者様が間違ったことを言うはずがない。お医者様に任せておけば大丈夫。」
そんな、思い込みが根付いているのです。
まさか、治療の実態が想像とはかけ離れたものになっているなんて誰が信じられるでしょうか。
恐らく、ほとんどの人がすんなり受け入れることは出来ないだろうと私は思います。
それは、正しい正しくないという枠組みではありません。
自分が信じてきたものが否定されたことについての拒否反応なのです。
この心理的構造があるから、あえて手術を受ける人がいるわけです。
自分の信じているものが正しいと思いたいのです。
椎間板ヘルニア、変形性股関節症、脊柱管狭窄症、坐骨神経痛など。
どれも、痛みの原因が間違っているものばかり。
だからこそ、手術を受けたにもかかわらず、治らなかったという話が出てきます。
冷静に考えてみて下さい。
手術では、その原因とされるものは除去されているのですよ。
ヘルニアの手術であれば、そのヘルニアは取り除かれ、人工関節手術であれば、痛みを出しているとされる骨や軟骨は人工物に置き換えられているのです。
それにもかかわらず、痛みが治っていないっておかしいと思いませんか。
簡単な話、そこには原因が無かったってことです。
ですがっ!
そのような見方が出来ないのが普通なんですね。
実際のところ、これまでの治療の在り方を冷静に見れば、至るところにほころびが見えるのが分かるはずですが、「医療に間違いはない」という思い込みが見えなくさせているのだと思います。
思い込みは視野を狭くする
普通は、受けたくないと思うはず。
しかし、これは自分が冷静な立場でいるからそのように判断できるのであって、当事者になればそうでもなさそうです。
これは、実際に聞いた話で、ある方が医師から「脊柱管狭窄症」と診断を受けました。
話によると、足のストレッチをすると症状が軽くなることから、私は筋痛症だろうと推測したのですが、当の本人はそうではありません。
脊柱管狭窄症なんだから、骨が変形したものが脊髄神経を刺激して痛みが出ていると信じているわけです。
病院からも、そのように説明を受けていますし。
そして、脊柱管狭窄症の治療には「手術」という選択肢があります。
しかし、手術を受けても治る保証はありません。
これは、オペを手掛けてきた医師であれば誰でも知っている事実。
実は、その患者さんを診察した医師自身が脊柱管狭窄症を抱えているとのこと。
そして、その医師は正直に「自分なら手術は受けない」と患者さんに話しているのですが、医師自身が受けないと言っている手術を、患者さんは受けようとしているのです。
これはもう、ある意味パニック的状況と同じと言ってもいいでしょう。
「早く痛みから解放されたい。その手段として手術がある。それなら、早く手術を受けたい。治してくれ。」
その気持ちは分からなくもないですが、冷静に判断できなくなっているんですね。
当の医師が、自分なら受けないと言っているのだから治らない可能性の方が高いのですが、そのことは恐らく頭にないと思われます。
手術を受ければ「治るはずだ」と信じているんですね。
これは、高齢の患者さんほど、その傾向が強いように思います。
「病院が出すお薬なら心配ない。お医者様が間違ったことを言うはずがない。お医者様に任せておけば大丈夫。」
そんな、思い込みが根付いているのです。
まさか、治療の実態が想像とはかけ離れたものになっているなんて誰が信じられるでしょうか。
恐らく、ほとんどの人がすんなり受け入れることは出来ないだろうと私は思います。
それは、正しい正しくないという枠組みではありません。
自分が信じてきたものが否定されたことについての拒否反応なのです。
この心理的構造があるから、あえて手術を受ける人がいるわけです。
自分の信じているものが正しいと思いたいのです。
椎間板ヘルニア、変形性股関節症、脊柱管狭窄症、坐骨神経痛など。
どれも、痛みの原因が間違っているものばかり。
だからこそ、手術を受けたにもかかわらず、治らなかったという話が出てきます。
冷静に考えてみて下さい。
手術では、その原因とされるものは除去されているのですよ。
ヘルニアの手術であれば、そのヘルニアは取り除かれ、人工関節手術であれば、痛みを出しているとされる骨や軟骨は人工物に置き換えられているのです。
それにもかかわらず、痛みが治っていないっておかしいと思いませんか。
簡単な話、そこには原因が無かったってことです。
ですがっ!
そのような見方が出来ないのが普通なんですね。
実際のところ、これまでの治療の在り方を冷静に見れば、至るところにほころびが見えるのが分かるはずですが、「医療に間違いはない」という思い込みが見えなくさせているのだと思います。
思い込みは視野を狭くする
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