杯中の蛇影
これまで数多くの患者さんと接してきて、なおかつ自分自身の経験も踏まえてこんなことを強く思うようになりました。
「形に伴う痛みというのは実は存在しないのでは」ということについてです。
これはどのようなものかと言えば、変形性~と名のつく病気や軟骨の変性によるものを指します。
確かに骨が変形することで可動域が狭くなったり、何らかの不都合は生じるので問題が無いとは言えませんが「直接痛みにつながることはない」ということです。
もちろん、その証拠を示すものはたくさんあります。
そして、私自身そのような考え方をもって施術を行っております。
患者さんも、最初からすぐにその考え方を理解されるわけではありませんが、実際に体で体感することで理解されるようになります。
頭で理解するよりも体で理解する方が早いという事ですね。
私たちの脳は、一度固定観念が染みついてしまうとそれを覆すことは中々難しいです。
しかも、その知識が専門家から出された意見ならなおさらです。
そして、そのことが世間の常識なら尚のこと。
例えば、こんな話があります。
むか~し、むかし、とある村での話です。
その村にはとても奇妙な形をしていた岩がありました。
しかし、村人にとっては生まれた時から既にあった岩なので何とも思いませんでした。
まわりにある岩と同じような目で見ておりました。
ところがある日、高尚なお坊さんがその村を訪ねてきてその岩を見た途端、
「この岩にはとてもすごい力がある」「今後はこの岩を大事に扱いなさい」と村人に説きました。
それからというもの、村人のこの岩に対する扱いが激変しました。
「此の岩に触れるべからず」との立札が立ち、これまでは子供の遊び場や犬や猫の昼寝場だったりしたのですが、触ることさえできなくなってしまったのです。
では、この岩自体は何か変化があったのでしょうか?
ありませんね。形が周りの岩と違うというだけで岩の成分はなんら変わりません。
人間のこの岩に対する見方が変わっただけなのです。
骨の変形に対する見方もこの話に似ていると思いませんか?
変形している骨はただそこに存在しているだけなのに、意味を与えてしまった。
今回のタイトルである「杯中の蛇影」ということわざに通ずるものがあると思うのですがいかがでしょうか。
見方を変えれば答えも変わる。
「形に伴う痛みというのは実は存在しないのでは」ということについてです。
これはどのようなものかと言えば、変形性~と名のつく病気や軟骨の変性によるものを指します。
確かに骨が変形することで可動域が狭くなったり、何らかの不都合は生じるので問題が無いとは言えませんが「直接痛みにつながることはない」ということです。
もちろん、その証拠を示すものはたくさんあります。
そして、私自身そのような考え方をもって施術を行っております。
患者さんも、最初からすぐにその考え方を理解されるわけではありませんが、実際に体で体感することで理解されるようになります。
頭で理解するよりも体で理解する方が早いという事ですね。
私たちの脳は、一度固定観念が染みついてしまうとそれを覆すことは中々難しいです。
しかも、その知識が専門家から出された意見ならなおさらです。
そして、そのことが世間の常識なら尚のこと。
例えば、こんな話があります。
むか~し、むかし、とある村での話です。
その村にはとても奇妙な形をしていた岩がありました。
しかし、村人にとっては生まれた時から既にあった岩なので何とも思いませんでした。
まわりにある岩と同じような目で見ておりました。
ところがある日、高尚なお坊さんがその村を訪ねてきてその岩を見た途端、
「この岩にはとてもすごい力がある」「今後はこの岩を大事に扱いなさい」と村人に説きました。
それからというもの、村人のこの岩に対する扱いが激変しました。
「此の岩に触れるべからず」との立札が立ち、これまでは子供の遊び場や犬や猫の昼寝場だったりしたのですが、触ることさえできなくなってしまったのです。
では、この岩自体は何か変化があったのでしょうか?
ありませんね。形が周りの岩と違うというだけで岩の成分はなんら変わりません。
人間のこの岩に対する見方が変わっただけなのです。
骨の変形に対する見方もこの話に似ていると思いませんか?
変形している骨はただそこに存在しているだけなのに、意味を与えてしまった。
今回のタイトルである「杯中の蛇影」ということわざに通ずるものがあると思うのですがいかがでしょうか。
見方を変えれば答えも変わる。
更新